秋の宮島歴史探索散歩~その1

台風19号の影響で、朝の宮島は珍しく閑散としていました。
10月13日、宮島観光協会主催の「秋の宮島歴史探索散歩」~厳島の門前町を往く!!に参加しました。今年の6月23日に次いで、2回目の参加となりました。
今回は「知られざる宮島を探る」をテーマに、宮島の時の流れをひも解きながら歩いてみよう、というものでした。そして歴史案内人は前回と同じく、宮島生まれ宮島育ちの「舩附洋子」氏で、総勢16名が参加していました。以下、教えていただいたことを順を追ってアップします。

団体で訪れているのは、ハイキンググループぐらいでした。

★宮島杓子の工房~先ずは要害山下のトンネルを抜けた左手にある、小田木工所を訪問。この工房の小田隆一氏は、宮島唯一の杓子職人で有名人だそうです。お出かけ時間の関係で、お話しがゆっくり聞けなかったのが少し残念でした。



★陸軍省石碑~厳島は厳島神社の門前町・港町として中世以来発展してきた。明治30年代、旧陸軍省によって鷹之巣へ砲台を築造するために、宮島の新町から杉之浦を経て包ケ浦へと通じる道が造られた。この道は旧陸軍省が管理した陸軍道路で、その道のスタート地点には、「陸軍省石碑」が現存する。


★大束富くじ場跡~室町時代中ごろから江戸前期に上西連町に、宝くじの元祖である富くじが売られていた。大束は薪の束のことで、物品の入札という見せかけを装って、入札形式を取って興業をしていた。尾道では畳表、帝釈は煙草だったと言う。



★誓真井戸~僧侶の誓真は、飲料水の不足に苦しむ島民のために、托鉢をしながら資金を集め島内に十カ所の井戸を掘った。その内の一つを訪れてみると、井戸を取り囲む石垣の組み方に工夫の跡がみられた。




★「宮島歌舞伎」宮島芝居小屋~江戸初期に厳島神社社務所付近に明神座が誕生し、歌舞伎興行が行われる。しかし、明治5年に全焼し、その後再建。明治28年には、北之町表に移築された。その明神座は大正15年に「宮島劇場」と名称がかわったものの、その後、映画館となったが、昭和35年に姿を消した。今ではその場所に、NTT西日本の建物がある。



歩きながら、宮島の蔵やお祭りのことも教えていただきました。
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